無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

恥痴呆談「アベノミクス終了か」他

 

アベノミクス終了か

Gさん(仮名)「事ある毎に日本に牙を剥くトランプですが、とうとう”アベノミクス”に噛み付いてきましたね」 

ごいんきょ「 これって、安倍晋三も言っているけれど、先ずアメリカが猛烈な通貨安になったわけよ。1ドル=75円まで行ったんだぞ。わしらが子供の頃は360円だったわけだから(笑)」

 

G「あの猛烈な緩和政策で、アメリカも世界経済も、少し息をついたように見えるまでなったんですよね」

ご「リーマンショックで、本当に世界中の経済が目茶苦茶になるのではないかと慌てた層だって結構いたわけだから。それを力業で整えたと。では、こちらも一時のドル安で割り食った分を取り返させて貰ってもいいでしょうとやってみたら、丸丸が大統領になってしまったというな(笑)」

 

G「丸丸ね。たしかに丸丸ですね、彼は(笑)。しかし、いきなりアベノミクスの修整は利くんでしょうか」

ご「さあ、どうなんだろう(笑)。その辺は日銀さんの舵取りを信じるしか無いけれど。ただ、これにオリンピックで膨らんだ予算とか、その後の不景気とかが被さってくると、けっこう難儀しそうだな、これから暫くの日本は」

 

G「そもそもアベノミクスって、通貨安政策だったんですね」

ご「そうさ。トランプ発言直後、違うって言い張っている連中が大量に湧いて面白かったけれど(笑)、ああいうのが所謂ネトサポなんだろうな。

  アベノミクスの本質は、通貨安政策だよ。株価操縦を絡めてな。当然そこは安倍も認識しているから、”同じ政策”と安倍は言ったんだがな。ネトサポは目が点になったんじゃないか、身も蓋も無いと(笑)。

  日本の景気を根本から立て直そうという事ではないから、同時に消費税も上げたわけ。本当に惜しい事をした。あの、アベノミクスが脚光を浴びていた時にドカッと消費税を削っていたら、それなりに景気回復したろうに。ただ、それが”成長”に繋がったかどうかという事は有るが」

 

G「でも、アベノミクスも”成長”には繋げられてないですよね、どのみち」

ご「ああ。だって、この日本社会で、いまだに”成長”を目指す方がどうかしているのよ。本来であれば、日本はとっくに”成熟”を目指すべきだったの、方向としては」

 

G「あなたは小泉政権時代からそう言ってましたね」

ご「ネット上ではな(笑)。ネットをやる前からそう考えていたんだけど。わしだって、そのために消費税を上げるというのなら、必ずしも反対はしないのよ。でも日本官僚がやっている事は、いつも朝三暮四なわけ」

 

G「消費税は福祉目的とか言いながら徴収して、ちっともそうなっていないと」

ご「現今の日本官僚・政治家なんて、とても信用しきれないからな。ならば”成熟路線”で行った方が間違い無いし、本来の日本人の気質にも合っていると思う」

 

G「本当に日本人って、”成熟路線”が合っているんでしょうか。どうもヨーロッパ社会のような佇まいを日本人が志向しているとは思えないんですけど」

ご「うーん…。かなり長い事、経済的に毒されてしまったからなあ。モルヒネを打つ事をやめるのは、たしかに難しいのかもしれん。だが、この低成長時代に生まれ育った層が、そこに気付いてくれたらしめたものだと思っているのだが」

 

 

JASRAC音楽教室から著作権料徴収へ

G「JASRACが、また嫌悪感を蒔き散らかしてますね(笑)」

ご「これ凄いよなあ。教育目的の所でも、優遇措置とかではなく徴収するって話だろ。正にヤクザ以下だな(笑)」

 

G「ああいう業界も、少子化で青息吐息ですよねえ」

ご「うちの近所でも一つ畳んでしまったが。ああいう所で育った人材が、いずれ音楽業界を潤してくれるわけじゃないの。何を考えているのか。何も考えていないんだろうなあ」

 

G「第一、きちんと配分するんですかね、徴収した金を」

ご「どんな曲をどのくらい使用するかとか計算するのかね(笑)。まあ今までの例から考えて、するわけ無いね、そこまで。また丼勘定で、本当の権利者にきちんと行き渡るなんて事は無いよ」

 

G「教室側は、法廷闘争も辞さないと、かなりの強硬姿勢のようですが」

ご「そんなの馬鹿馬鹿しくないか? これ以上、弁護士を儲けさせる必要無いだろう(笑)。著作権の問題が無い楽曲だけ使えばいいじゃないか」

 

G「クラッシックですか」

ご「あとは外国人による教材とか、JASRACとは無関係だろう?

  しかし、例えば楽譜を使うとしたら、その楽譜から著作権料が入っているわけだよな。どれだけ強欲なんだよ(苦笑)」

 

G「耳コピで内緒の楽譜を作っているという事なんですかね?」

ご「個人教室ならともかく、河合やヤマハの先生がそんな事をするの?(笑)

  尤も、いずれは個人教室まで対象にすると言っているが」

 

G「いやー、凄いですね。我々が子供の頃は、普通に商店街やパチンコ屋などから流行している歌が流れてきて、それでレコードもまた売れていったという事が有った訳ですが、どんどん音楽が耳に入らなくなったのはJASRACの貢献大ですよね(笑)」

ご「そして、とうとう種籾まで食べ始めたって事だな。目先の欲で未来を食うような業界、誰からも尊敬されないし、ますます衰退していくだろう。しかも、それをいい気味だとしか思わなくなってしまったよ」

 

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(51)

国松さまのお通りだい

 ハリス学園を舞台に喧嘩とスポーツで大暴れする石田国松を描いた、ちばてつや原作の『ハリスの旋風』が、日本テレビでの再放送でも20%を超える視聴率という人気を獲得したため、元の放送局だったフジテレビがカラーで再制作を企画したものです。

 こちらも人気となりまして、20%を超える視聴率を獲得しました。

 『新オバQ』と違い、前作と放送局も同じだったためか、主な声の出演者は引き継がれました。但し、制作会社はピープロから虫プロへとなりました。

 

 音盤としましては、これもレコードのコロムビアとシートのソノラマという並びになっています。

 ただ、この頃からシートは発行枚数が本当に激減していたようで、風前の灯となっていました。この年いっぱいは出し続けるのですが、どれも現存すれば稀少というくらいに発売枚数が少なかったようです。

 長年、新興ソノラマに押さえつけられていた老舗コロムビアが、ついに地力で寄り切ったと言える頃合いでしょう。

 

 

アパッチ野球軍

 関西立身出世物ドラマで名を馳せた花登筐が、何故か漫画原作に乗り出したもので、しかも野球漫画という意外な組合せとなりました。

 これも元々は少年誌に原作の漫画が掲載されていたものですが、テレビ化されたのは、主人公の堂島が山村に教師として赴任してからのものです。

 そこには猿のように身軽なモンキーや、怪力の材木、ナイフ使いの名人・網走など個性的な人間がおり、都会のチームでは作れない、野性味あふれた力強いチームが期待されました。

 

 但し、野球の”や”の字も知らない山村の人間にチームプレイを仕込むのは、非常に至難の道のりと見えました。

 花登筐原作だからでしょうが、そういう訳でなかなか野球の話にならず、延々とチーム作りまでの確執が描かれ続けていました。

 しかし、そういう筋立てや登場人物たちの特異さなどから、一部に偏愛する人間もいるようです。

 

 音盤としましては、東映動画作品ですので、これもレコードのコロムビアとシートのソノラマという体制です。

 終了主題歌を新兵ちゃんこと、ピンポンパンの坂本新兵が歌っています。

 

 

スカイヤーズ5(カラー版)

 昭和42年にモノクロで制作された川崎のぼる原作の国際警察もので、その時も当時も、特に人気が有ったというわけではないと思いますが、何故か3年半経ってのカラーでの再制作となったものです。

 ハッキリ言いまして、TBSはテレビまんがの感性に於いては、かなりズレていたと言わざるを得ません。”ドラマのTBS”を標榜する身として、あまり漫画には熱心でなかったのでしょう。

 しかし、当時は系列局だった朝日放送が、その分まで頑張ってくれるのですが。

 

 音盤としましては、レコードがキングとビクターから、それにソノラマからシートが出ました。

 前作の時は見逃したようなソノラマですが、この時はシートが苦しいにも関わらず音盤化を実現しています。

 前回は音盤化に加わったクラウンや東芝などは、元々があまりテレビまんがに熱心な所ではありませんし、この時には参加していません。

 

 

昭和唱和ショー「ダッコちゃん」

Gさん(仮名)「てな事で、今回は前回の続編みたいな感じでダッコちゃんなのですが」

ごいんきょ「昭和回顧物としては、ど真ん中のストレート、しかも急速130kmの打ち頃って感じで、あまり放りたくない球なんだがな(苦笑)」

 

G「これは、いつ頃ブームだったんですか?」

ご「始まったのは昭和35年だねえ。だが、わしの記憶では、昭和40年代前半までは普通に見かけたな。”タカラのダッコちゃん”と言えば誰でも知っている感じだったぞ」

 

G「ちょっと見、そんな可愛くもないのに、なんであんなに流行ったんでしょうね」

ご「フラフープもそうだったが、社会現象にまでなるブームというのは、確たる理由なんか無いんだな。元々は”ウインキー”って名前だったんだが、誰言うとなく”ダッコちゃん”となって、しまいには”ダッコちゃんマークのタカラ”と、商標やキャッチフレーズにまでなってしまった」

 

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G「あ、ウインキーって名前だったんですか。そう言えば、目のシールが角度によってウインクしているように見えるやつでしたね」

ご「両手が輪っかになっててしがみつけるって他に、そこも売りだったんだがな。”ダッコちゃん”って名前が全てを淘汰してしまった(笑)。

  銀座の小松ストアで最初に売り始めたんだが、そもそもは水商売の女性が、ボトルに抱きつかせたりしていたのが発端って話も有るんだ。昭和40年代くらいまで、そういう女性たちからブームが生まれたっていう事例が、実は結構あるんだよ」

 

G「昔は人や情報が集まる所って言えば、飲み屋だったですからねえ」

ご「ところで、ダッコちゃんと言えばタカラが有名になってしまったが、そちらは製造元で、ブームの当初に注目されていた会社は、実は販売元の方だったんだよ」

 

G「へえ。なんて会社です?」

ご「社長の名前は佃(つくだ)さんって言ったんだ」

 

G「え? まさか、オセロのツクダですか?」

ご「そうなんだよ」

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G「へーっ。ツクダヤっていうのがツクダの前身ですか。ダッコちゃんとオセロ、二つも日本中を虜にした玩具を生み出したなんて」

ご「オセロはリバーシのパクリって話も有るがな(笑)。 とにかく佃社長ってのは、いかにも昔の玩具屋さんで、”良い子を育てる良いおもちゃ”っていうのが売り文句だったんだ。上の挨拶でも、そういう言葉が出てくるだろ」

 

G「ずっと後年になって、黒人差別どうこうでケチがついてしまうなんてねえ…」

ご「そりゃ侮蔑的に誇張するのは咎められても仕方無いんだろうけど、愛嬌を持たせてみんなから愛される形での誇張も文句を付けるなんて、かなり歪んだ正義感だと、わしは思うがな」

 

G「アパホテルの人も、南京平和ちゃんとか作って置いとけば良かったですかね(笑)」

ご「それか、金髪の”花札くん”っていうパンチング人形を作れば売れるぞ、絶対(笑)」

 

 

*1:昭和35年7月16日付読売新聞

*2:昭和35年10月9日付読売新聞

差別意識のあやふやさ

Gさん(仮名)「んー。なんか、アブなそうな表題ですねえ(苦笑)。なんで、こんな話題なんですか」

ごいんきょ「いいや、ただたまたま資料を見返していたら、ちょっと面白い事例を見つけたんでね。話の種に書いてみようかと」

 

G「と言いますか、今日は良い話の種が見つからなかったんですよね(苦笑)」

ご「ああ(笑)。幾つかやりたいのは有ったんだが、どれも仕込みに結構手間がかかってなあ。面倒なんで、ちゃちゃっと語れるのを探したんだ(笑)」

 

G「フリートークというのが、実は一番難しくて面倒ですよね」

ご「そう。むしろ方向性が決まっている方が、種は決めやすいね」

 

G「で、どんな面白い話なんですか。”面倒”っていう意味の面白さだったら嫌ですよ(苦笑)」

ご「解放同盟の話なんだがね(笑)」

 

G「………。知りませんぜ、旦那」

ご「いやー、たぶん事実なんだから大丈夫だろう。もし事実でないと関係者からご指摘戴けば表現を改めるので、問題ないんじゃないかな」

 

G「どんな話なんですか」

ご「11PMって番組は知ってるだろう?」

 

G「知ってるも何も、我々世代は北枕にして寝られないくらいお世話になったテレビ番組じゃないですか」

ご「どんな表現だよ。君はボケる役じゃないだろう(苦笑)。

  その11PMの昭和47年5月30日の放送で、東郷健が、『オカマにも人権を! 私たちを差別しないでほしい』と訴えたんだと」

 

G「凄い名前が出てきましたねえ(苦笑)。東郷健。昭和の関東人には懐かしくも複雑な名前です(笑)」

ご「ところがさ、その放送に、解放同盟が抗議したんだよ」*1

 

G「えーと、そういう訴えをした東郷健を、番組上で笑い者にしたとか、そういう事ですか?」

ご「そうじゃなくて、『差別という言葉を軽々しく使うな』って事らしい。オカマと部落を同じ言葉で語るなって事だろう」

 

G「えーっ。まあ、たしかに、あの頃は男の同性愛者なんて、どれだけ馬鹿にされても仕方無いって時代でしたがねえ。それにしても、差別問題の専門家たちが、そんな事を言っていた時代が有るんですかあ」

ご「ほら。当時は、解放同盟は一番イケイケの頃なわけよ。大抵の事をやってもお咎めを受けないどころか、超一流出版社や放送局の人間が泣きながら跪いたりし続けたわけだから。しかも銭にもなると」

 

G「それはそうなんでしょうけど、利権的な意味合いから言ったって、他の被差別者とも連携していた感じだったんじゃないですか?」

ご「だからさあ。当時、男の同性愛者は被差別者という認識では全く無かったわけ。実は、こういう事こそが差別の典型例なのかもしれないけれどもな」

 

G「しかし、自分たちが受けた差別は特別って事ですか」

ご「そうそう。”差別”という言葉には、部落解放同盟の重い歴史が有るって事なんだな」

 

G「なるほどねえ。たしかに歴史的にいろいろ有ったでしょうけど、それって男の同性愛者だって有ったんじゃないですかねえ。ただ暴力に訴えなかっただけで」

ご「そこら辺は、我々が軽い気持ちで語れる事でもないけれどな。ただ、わしが事実として面白いと思ったのは、”差別”意識というのは時代、場所で非常に大きく変わるという事なんだな」

 

G「時節柄で言えば、天皇を被差別者扱いする不届き者が一部に居ますね」

ご「大衆迎合できれば何を言ってもいいと考える不埒な連中だな。それこそ、昭和時代までなら、とても考えられんよ。

  そんな連中ほど、男系継承を”男女差別”という話に持って行く。女性が天皇になれないのは男女差別なんだと」

 

G「うーん。そういう人たちって、歌舞伎役者とか力士にもそういう運動をする気は有るんでしょうか」

ご「さあね。自分たちがやりたい事だけやれればいいって連中だろ。この話を本格的にすると、とても収まりきらなくなるからこの辺にするが(笑)、男女区別をする人間や世界を蔑視してるんだね、そいつらは。だから、そういう価値観の人間に対して、ありとあらゆる罵詈雑言をかましても屁とも思わない」

 

G「男は外で働き、女は家を守るとか、そういう”区別”ですね」

ご「ああ。昔はなあ、台所は女の戦場って事で、男が立ち入るのは憚られたもんなんだ。女性蔑視で料理をさせていたわけではない。対等な役割分担だったわけ」

 

G「しかし、女性の社会進出も進んでますしねえ。それにそもそも、経済的にそういう昔ながらの姿も難しいでしょう」

ご「ああ。だから巷では、そういう物言いが通じなくなった家が殆どだろう。だけどなあ、そういう物の考え方を全否定するのは、そういう考え方をする人間を差別してないか?

  実は、この意識構造こそが差別の源泉なんだな。東洋的な典侍(宮中女官)だって、西洋的視点で蔑視して迷いが無いんだ」

 

G「えーと、こんがらがってきました(苦笑)」

ご「とにかく、”差別”なんて事をいい気になって安っぽい武器で使っていると、しっぺ返しが待っているかもしれんって事だ。

  ちなみに、所謂女系継承が禁忌である本質は、いまだに男系派も女系派も語ってないな。なんでなんだろう?

  女系派が語らないのはわかる。だって、そうしたら男系派が増えるんだから(笑)。だから、”男女差別だ”なんて本質から外れた下らない次元で工作したがるんだな」

 

G「と言いながら、あなたもいつも、その”本質”に触れないですね(苦笑)」

ご「そりゃ遠慮してるんだよ。門前の小僧のわしなんかより、きちんと語るべき人々がいると思うから。なんで男系派まで語らないんだろうな?」

 

 

*1:『放送レポート』18・19合併号(放送レポート編集委員会

漫画投句「上杉均 里見賢治 対峙す」

Gさん(仮名)「今週は上杉と里見の挿話でしたね」

ごいんきょ「しかし、木多の台詞には光るものが多いな、本当に。今回は、『帰ってくるさ』『空さんの話じゃない』が流石の冴えだった」

 

G「里見は、空の身柄に関して、上杉に筋を通してたんですね、海ではなく(笑)」

ご「腕に覚えの有る進道塾生ほぼ全員が、上杉の元に集まっているわけだからな(笑)」

 

G「里見の空への口調が変わった事も、この話し合いに関係してるんでしょうね」

ご「だろうな。おそらく上杉は、空に対する馴れ馴れしさを改めるように釘を刺したんだろう」

 

G「それで言う事を聞く里見ですかね。最後に言っていた、”相談”が関係してるんでしょうか」

ご「だな。わしが思うに、空が煉獄を里見に教える事を許してくれという事だと思うよ」

 

G「うーん。里見が煉獄を習得したら、かなりの強者になってしまうでしょう。上杉が許しますかね」

ご「許すさ。だって、完全に余所者の富田流二人組が使えるようになってるんだぜ。もう煉獄の秘匿義務なんて事実上崩壊しているし。だったら、空を陸の倅として、煉獄の師匠として、きちんと立てて扱う事を交換条件に認めるんじゃないか」

 

G「里見が煉獄を習得しても、勝てるという絶対の自信が有るんでしょうか」

ご「上杉の煉獄は、完全無欠の煉獄だからな。いくら拳聖・里見でも、この短期間では富田流並の煉獄しか習得できまいという読みが有るだろうから」

 

G「でも、ただでさえ強敵の里見が、更に手強くなってしまうのは間違い無いですが」

ご「そこで今回、上杉の空手の源流が明らかになった事が利いてくるんだ。彼の師匠も又、名護夕間だろう」

 

G「あれって名護なんですか? ちょっと顔を比べてみますね。

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  これが、今週載っていた上杉の師匠です。

  そして、桜井編で出た名護夕間は、こんなでした。

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   なるほど。上杉の師匠も名護夕間みたいですね……」

ご「わしは決勝進出が里見だと言った気がするが、こうなると上杉という目も出て来たな」

 

G「御殿手 対 富田流が、この大会の隠された主題だというのが、あなたの見解で、だから里見が残るという読みでしたからね」

ご「そう。そして何より重大なのは、上杉も”一撃”を身に付けているだろうという事なんだよ。進道塾に二人の王がいるなんて言っても、空手王の山本陸は熊を殺したが、上杉は幾ら強いと言っても熊は殺せないだろうと思っていた。だが、喧嘩王も熊を殺せるな、これは」

 

G「すると、拳聖・里見が人を殺した事が有ると言っても、上杉に勝る部分がまったく無くなりますね」

ご「少なくとも上杉はその自信が有るから、空が里見に半端な煉獄を伝授するくらい、屁とも思わんだろうよ」

 

G「それにしても、上杉も里見も人を殺めていたというのが意外でした」

ご「そうかね。わしは前から、この大会に出ている連中は、全員が陰の闘いにも臆せぬ者だと言っていたろう。だから、ああ、そのくらいは有っても不思議ではないねという感じだよ。だって、あれだけ目突いたり骨を完全に折ったりなんて試合が続いたって、誰一人眉一つ動かさないんだぞ。読者も含めてみんなからナメられている関にしても、絶対に陰に身を預ける事ができる男だからな」

 

G「金隆山もでしょうか」

ご「やるね。たとえ高校生の十兵衛相手でも、戦いの場では非情になると思うよ」

 

G「まさか勝ち上がった十兵衛に、『まいったまいった』とは言わないですよね(笑)」

 

 

麻雀回顧「五木寛之」

第22回 シルクロードステータス

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 今週もあきまへん。

 狙いに行ったのは行ったんだけど、そもそも全く抑えられていない。

 いつになったら焦点が合ってくるのか。

 

 

麻雀回顧「五木寛之

Gさん(仮名)「今回は五木寛之ですか。どうせ青春の門が再開したからでしょ(笑)」

ごいんきょ「そらそうだ(笑)。週刊現代で、なんと23年ぶりの再開だっていうな」

 

G「読んでたんですか?」

ご「筑豊編とか自立編とかは、エッチぃとこを中心に読んだな(笑)。だから筋なんて殆ど知らない(笑)。ただ、映画は見たから」

 

G「どうせエッチぃとこを中心にでしょ(苦笑)」

ご「そらそうだ(笑)。大竹しのぶ杉田かおると、わしがその時々に気になった女優が次々と体当たりで演じてくれたのが良かったね」

 

G「五木さんの雀士としての経歴なんて、知っている人は殆どいないでしょうね」

ご「まあ経歴っつー程のものでもないしね。麻雀はど素人だった。ど素人だったが、破壊力が物凄かった。ビギナーズラックと添い寝した男だな」

 

G「誌上対局は、それほど多くなかったですよね」

ご「矢崎泰久あたりだったかな、とにかくウラドラの乗り方が凄いって書いてて。それで注目されてて、近代麻雀で何回か打ったような」

 

G「タイトル戦は出なかったんですか」

ご「それが、プロ麻雀誌の雀聖戦に出たんだな。第二期だったか」

 

G「それが唯一のタイトル戦出場でしょうかね」

ご「わしの記憶する限りではそうなんだが」

 

G「結果はどうだったんです?」

ご「いやー、凄かったね(笑)。なにしろ相手も凄い。佐藤孝平、大竹真吉、高木賢治だぜ、たしか」

 

G「うわっ!(笑) その当時の強打者勢ぞろいって感じですねえ。中に五木さん一人じゃ、コテンパンにやられたんじゃないですか」

ご「それがさあ、わしの記憶では、その試合は勝ち抜いたはずなんだよな」

 

G「うーん、凄い。相当な打撃戦になったんでしょうね」

ご「最後の半荘だったかな、満貫以上が8発出たんだから、たしか。今の公式戦と違って一発ウラドラ無しだぞ(笑)」

 

G「一発ウラドラ無しの半荘で満貫8発って…(笑)。”恐怖のウラドラがやって来る”と言われた五木さんには、或る意味不利な試合ですよね」

ご「それがウラドラ無しなんだけど、テンパると絶対にリーチかけるのよ(笑)。相手はプロだから、ジタバタしても始まらないと思ってたのかね」

 

G「そう言えば、よくそんな対戦相手で出ましたね」

ご「うーん。もしかしたら一回戦を勝ち抜いて、二回戦だったのかもしれない。あれはトーナメントで二人勝ち抜きだったから。

  かなり昔の話だから、細かい部分は記憶違いも有るだろう。いずれにしても、次の試合では勝ち抜けなかったがな」

 

G「しかし、”恐怖のウラドラ”どころか、ウラドラ無しでもそんな打撃戦を勝ち抜いていたなんて、半端ではない運の強さだったんですね、当時」

ご「今だってわからんぞ。畑正憲小島武夫、田村光昭なんかとやってみて欲しいもんだ」

 

G「おぉ~。前回の田村光昭の時も思ったんですが、麻雀シニアリーグなんて作っても面白そうですね」

ご「と言うか、なんで無いんだ?って感じだよ。老若男女が楽しめるというのが押しの一つだろ。女性戦が有るんだから、シニア戦も作らないと。事が麻雀だから、70歳以上くらいでいいんじゃないかな。矢崎泰久だっているぞ」

 

G「実現したら、我々のような昔からのマニアも楽しくなりますね」

 

 

 

挿しす世相史「南極観測隊が”昭和基地”と命名」

 昭和32年1月29日(火)20時57分(現地時間)、南極観測船宗谷が、南極のオングル島に上陸した旨の報告電が、永田観測隊隊長より発せられました。

 そして、同島を含む周辺域を『昭和基地』と命名して日章旗を掲げたとの報告が有りました。

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 これにより、この年は一月から大いに南極隊の話題で持ちきりとなりました。

 ところが翌年2月、悪天続きのために観測続行が不能となったばかりか、隊員達さえビーバー機での救出となる極限状態となりました。

 そのため、同行させていた樺太犬15匹を置き去りにする事となり、世間はこの行為への非難と救出嘆願で喧しくなる事となります。

 

 一年程の後、15匹のうち2匹の生存が確認され、また国中で注目される事となりました。

 この事柄は昭和58年に映画『南極物語』として制作され、当時の興行収入記録を打ち立てる程の人気を呼んだものですが、この実話に関しましても、いずれ機会が有りましたらまた採り上げる事も有るでしょう。

*1:昭和32年1月30日付読売新聞夕刊